行動と真意
カウンセリングを受けたあとは
なるべく努力して質問をしてきてくれた
あれから大きなケンカはせず穏やかに暮らしている
(いやうちの実家に帰る途中にケンカしたな…
お墓に行く道を覚える気がない話で)
今月のミーティングでは
病院に行く、っていう 今までやったほうがいいと思いつつ
避けてきた「本質と向き合うこと」を始めたことは
大きな一歩だという話をした
完全に同意してくれたのが嬉しかった
そのあとの改善と要望を伝えるときに
もちろん私は変わろうとするけど
同時に旦那も変わってもらう必要があるよと話した
あんまりくどくど言うと今までと変わらないから言わないようにするけど
心のなかでは思ってるよということが
伝わっていればいいんだけど…どうだろうなあ
話は戻ってお墓への道の話
私の中でひとつの気づきがある
旦那の行動には行動以上の意味を求めすぎないほうがいいということ
こういう行動をした=こう思って行動したんじゃなかろうか?
そんな失礼なことあるか!ひどい!
というのが私の怒りパターンのひとつだ
けどよく考えたらあの人は
そこまで考えずに行動・発言することのほうが圧倒的に多いんじゃなかろうか
いわゆる「何も考えてない」ことが多い
それを邪推されて決めつけられても
たしかに寝耳に水で 売り言葉に買い言葉でケンカになってしまうだろう
「その行動をされるとこう感じるけど
そういう意図でやった?」と聞くスタンスにすれば
嫌なおもいをしたことも伝えられて
相手にもそうじゃないよと弁解する余地も与えられて
いいんじゃないかなと思っている
…まあ実際むかついたときにそういう冷静な言い方が
できるかどうかは別問題なんだけど
あとで振り返る材料になるだけでもいいかな